梅田講演会
梅田講演会『金子みすゞの作品と人』

2018年2月28日(水)

会場:関西学院大学大阪梅田キャンパス
講師:窪寺 俊之(元関西学院大学 神学部 教授・聖学院大学大学院 客員教授)

 先週までの寒波が過ぎ、少し春めいた穏やかなこの日、会場は関学同窓生を含め満席となりました。
 今回は、窪寺 俊之先生(元関西学院大学 神学部 教授・聖学院大学大学院 客員教授)に『金子みすゞの作品と人』と題してご講演いただきました。


♦金子みすゞの生涯
 1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日。 大正末期から昭和初期に活躍した童謡詩人。本名、金子テル。512編の童謡詩を綴った。1923年(大正12年)9月に「童話」「婦人俱楽部」「婦人画報」「金の星」の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。26歳で自死。

♦環境
 山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)の生まれ。家は比較的裕福であった。弟(正祐、雅輔)は早稲田大学に進学後、小説家、演劇家として活躍。家には当時としては珍しいバイオリンがあった。
 学校の成績は優秀で、大津高等女学校では奈良女子師範学校(現・奈良女子大学)へ進学を進められた。

♦作品
 生涯で512編の童謡詩を綴った中で、代表作のひとつとして「大漁」があります。 「朝焼小焼だ 大漁(たいりょう)だ。 大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ。 浜(はま)はまつりのようだけど、 海のなかでは何万(なんまん)の鰮(いわし)のとむらいするだろう。」
 この作品は喜んでいる人間の愚かさや、海中の悲しい現実を鋭い感覚と想像力で描かれています。  また、見えないものや人から無視されるものへの優しさを描いた「土」、人それぞれの存在や命が認められる世界を望んでいる「わたしと小鳥と鈴と」、人間の身勝手さを描いた「蛙」(かえろ)、自分を王女に見立てた作品「私と王女」、など、表現力の豊かさや優しさなどから、多くの人がみすゞの作品で慰められ、心洗われ、励まされます。
 このような優しさに溢れる作品がある一方、「寂しさ」を謳った作品が全作品512編の内の24.6%もあり、異常に「寂しさ」が強く、彼女自身のうちに自己愛人格障害という原因があったと先生は分析しておられます。

 彼女の作品には彼女の童謡詩人としての繊細な感覚と弱いものへの優しさを見ることができます。しかし、同様に彼女を一人の人間として見ると、彼女は日常的に寂しさを持ち、人と馴染めない孤独さを抱えていました。  大正15年2月17日、宮本啓喜と結婚。生活は一変して、現実生活の煩わしさに振り回されました。実弟正祐が家出、夫と義父松蔵との不和、転居、娘ふさえの誕生(同年11月14日生)。この時点で夫啓喜の女性問題で離婚話が出ていました。

 昭和2年11月、淋病を発病し、夫の宮本は彼女の詩作と詩作仲間との交際を禁止します。彼女は肉体的、精神的にも困難を負いました。
 彼女は、娘ふさえを実母ミチと義父松蔵に預けようとし、夫の宮本が娘ふさえを迎えに来る前日に26歳の若さで自死しました。
 彼女の自己愛人格障害は、娘ふさえが将来母なし子として悲しむことを思いやることもできないほどに自分中心的行動だったとも言えます。彼女が童謡詩で訴えたことは、弱いものも、小さなものも生きることができる社会の形成でありましたが、大変残念なことに、その願いとは反する結果になってしまいました。

 最後に窪寺先生は、金子みすゞの生き方が現代人の自己愛的傾向に傾く生き方への警告としても見ることができると、お話いただきました。

 今年度の梅田講演会は、今回で終了しました。来年度の開催については、決定後、大阪梅田キャンパスHP等を通じてご案内致します。


♦大阪梅田キャンパスHP
http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/
 お問合せ先:関西学院大学大阪梅田キャンパス事務室
 電話(06)6485-5611

梅田講演会『金子みすゞの作品と人』




<KGリポート一覧へ戻る